小布施で就農を決めた理由

地方移住を考えたきっかけ
こんにちは、カエルフルーツカンパニーです。私たちは神奈川県から小布施に移住し、新規就農しました。
今回はなぜ小布施を選んだのか、について書いてゆきたいと思います。
あなたは地方に移住してみたいとは思ったことはありませんか?
この記事では私たちがこの地に決めた理由をお話します。
小布施で就農を考えたわけ
小布施町を知ったきっかけは、以前勤めていた会社の上司が実家を継ぐため会社を辞められたことです。
それまでは小布施の地名を聞いたことがある程度しか知りませんでした。
その人はもともと小布施の農家さん出身だったのです。
その頃自分も別の会社で勤務し結婚、子供を育てていました。
その会社では仕事に追われ、家庭での時間が持てないことや仕事への情熱をあまり持てずに悩んでおりました。
(今から考えてみると情熱に関しては考え方次第です。要するに若かったわけです。)


この先の人生、このままでいいのだろうかという疑問をもちながらの生活の中、子供の成長と共に楽しみだったのが趣味の家庭菜園でした。
日常の仕事ですり減ってしまう心を、どうにか子供と一緒に庭でスクスクと成長するきゅうりの様子に癒される日々…。
そんな中、小布施で生活をしているその元上司と会う機会があり、農業の話を聞きました。
その時に漠然とですが、自然と共に家族で楽しく暮らせる生活にあこがれ、自分も自然を育てて売る農業で生計を立ててみたい、そんな風に思うようになりました。
ちょうどその頃、新規就農の制度が始まりました。
ウェブで新規就農者を募る農水省のホームページを見つけ、新規就農事業を実施している地方をいくつか調べました。その中で、小布施町でも実施していることもわかりました。
小布施町を訪れて感じたこと
まずは百聞は一見にしかずということで、軽い気持ちで家族で旅行をし、小布施やその近郊を楽しみました。
小布施町は長野県一の小さな町で、栗菓子屋さんの集まる定番の観光スポットのほかにもこじんまりとした温泉や
子供を遊ばせるのに十分すぎるくらいの広さの公園があったりと、観光もさることながら住環境としても魅力的な土地でした。
なんでもない、のどかな町の様でありながら、ふと目を上げれば北信五岳の山々に囲まれた風光明媚な景色。
全長4キロという小さな町のなかに銀行、郵便局、駅やスーパー、コンビニなどがあります。
静かな環境を守るように、がやがやしたようなアミューズメント施設はなく
(ゲームセンター、パチンコ、複合商業施設といった…)代わりに町で目を引くのは品の良い感じのアイスクリーム屋さんやカフェ、老舗の栗菓子店などなど。
必要最低限、というと語弊があるのかもしれませんが自分たちの生活のミニマムがギュッと詰まった印象を受けます。
生活環境への不安と期待
農村というと自然が豊かではあるが、生活は大変不便となる印象です。都会にしか住んだことのない人は住めないよ、という話もよく耳にします。
私たちもそのあたりにはかなり不安がありました。
確かに都会は歩いてすぐのところになんでもある印象です。
いろいろな店などがひしめき合い、こんなに必要なのかな?という疑問も浮かんでしまうほどでした。
小布施町には何でもあるかといえば、案の定そうでもないです。
ただ、にぎやかさが恋しければ30分くらい車で長野方面へ行けばモールなど商業施設にいくことも可能ではあります。
また町内には住居と近接して豊かな畑や果樹園がひろがり、直売所などでは採れたての美味しい野菜や果物に安価にであうことができるという贅沢さだけはピカイチです。
街灯は少なく、多くの店は17時には閉店しますので、19時を過ぎれば真夜中並みに静かな環境に少し寂しさを覚えました。
しかしそんなことよりも小布施町で得られる充実感の方が当時の自分には大きかったです。

移住の決断とその後

その時は農業が自分にもできるかどうか、その辺のところは意外と曖昧だったような気もします。
将来のことまで深く考えずに、直感で決断した部分もありました。
ダメだったら、などはあまり考えず、今考えるとかなり浅はかだなあと反省するところも多々あります。個人事業主となるにあたり、確定申告やビジネスセミナー的なものを勉強したら良かったなあなど、考えるときりがありません。
就農してからの事はまた後日にでも。
以上移住を小布施に決めた理由となります。
今年で移住し12年となりますが、総合的には楽しんで生活しております。
誠に勝手ながら小布施の方々ともそれなりになじめているのではないかななどとも思っております。
小布施の人々の温かさ
小布施の人たちはとても良くしてくださり、いまこんなにそれなりにやれておるのもそんな方々のおかげです。
ここ小布施にはよそ者に対して寛容な風土が昔からあるようで、閉鎖的な雰囲気があまりないのも、移住を決めた要因の大切な一因です。
江戸時代にいたっては小布施の豪農、高井鴻山が江戸からやってきた晩年期の浮世絵師の葛飾北狂斎をむかえたそう。
その北斎はご老年にもかかわらず、壮大且つかの有名な【八方睨みの鳳凰図】を残したという土地でもあります。
そんな豪快なフトコロが小布施の人達の中には宿っているのかもしれません。